Eulogy II

神戸大学経済学部長 則武保夫 による弔辞。
六十年余、学問の第一線に在り続けた師の、詳細な学問的功績を讃える。
昭和五十六年二月二十三日。

弔辞 其の二

謹んで、坂本彌三郎先生の御霊前に、弔辞を捧げます。

先生は、大正六年、東京高等商業学校専攻部をご卒業後、直ちに、神戸大学経済学部の前身である神戸高等商業学校に御着任になり、大正八年、同校教授となられました。

昭和四年、神戸商業大学への昇格とともに助教授、同五年、同付属商学専門部教授、ついで同学教授、同十九年、神戸経済大学教授、同二十四年、新制神戸大学経済学部教授となられ、同三十三年、ご停年になられるまで、実に四十数年の長きにわたって、本学およびその前身の学校で、教育と研究のため尽力されました。

この間、先生は大学の行政にも献身されました。神戸経済大学に、国立大学初の夜間開講の第二学部が創設されるにあたっては、設立準備委員として献身的な努力を払われ、その初代学部長となられました。新制神戸大学の設置に際しては初代経済学部長に就任され、四年七ヶ月在任の間に、経済学部のみならず神戸大学の発展の基礎をかためられました。また、大学院の設置に際しても、初代経済学研究科長を兼ねられ、本学部と大学院の発展の基礎をかためられました。

新制大学の発足にあたっては、広島大学の政経学部創設にも貢献するところがあり、また南山大学大学院経済学研究科の創設に参画して同学の発展に大きく寄与し、さらに神戸学院大学経済学部および大学院経済学研究科の創設には中心的役割を果たし、初代の経済学部長・研究科長となられ、同大学の創立と発展のために多大の貢献をされました。

学会全体にわたる研究体制の整備にも寄与されました。戦前には日本経済学会、戦後では理論経済学会・計量経済学会・経済学史学会の創設に参画され、これらの学会の役員として活躍され、わが国の経済学界において常に指導的地位を占めて活躍されました。昭和三十五年には、日本学術会議会員に選出され、広くわが国の学術と研究体制の整備に貢献をされました。

先生の御研究は、経済学の水準の向上に努められ、厚生経済学にまで至っています。その研究は多方面にわたっていますが、研究方法はあくまで深く緻密であり、徹底して論理的な精密性を強調されました。御研究は、ペティ、ノース、バーボン、カンチヨン等から、スミス、リカルドウ、マルサス、ミルなどの古典学派を経て、ケインズ、ヒックスに及び、ハロッド、ドマール、シトフスキーなどの経済成長理論にまで及びました。

先生は寡作の人でありましたが、昭和三十一年には、大阪大学に提出された「スミスの『経済学講義』における自然価格について」により、経済学博士の学位を授与されるなど、珠玉の論文を公にされました。特に学会における報告・討論を通して、わが国の経済学界に大きく寄与されました。

以上のように、先生は、六十年余にわたって直接教育に当り、八十六歳まで、教育と研究と行政の御一線で現役として活躍されました。先生の御研究の指導を通して、透徹した論理と、厳格な学風と、温厚な御人柄とにより、よく教育の実をあげ、学界・実業界に多数の有為な人材を送り出され、昭和三十九年には、産業教育功労者として表彰をうけられました。

先生は、退官後もさらに、大阪経済法科大学の教授として、講義・研究指導を続けて来られました。講義としては、経済通論・経済学史を担当され、のち経済学原理を加えられました。門下からは数多くの俊才が輩出し、学界と経済界の第一線で活躍しています。

本日ここに、幽明境を異にして、弔辞を捧げることは、痛恨のきわみでありますが、先生の御功績をたたえ、最後に、神戸大学経済学部を代表しまして、長年の御功績に対し、あつく御礼を申しあげます。

先生、どうか安らかにお眠り下さい。

昭和五十六年二月二十三日  神戸大学経済学部長 則武 保夫
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弔辞 其の二 原本冒頭 弔辞 其の二 原本 弔辞 其の二 原本 弔辞 其の二 原本 弔辞 其の二 原本 弔辞 其の二 原本 弔辞 其の二 原本 弔辞 其の二 原本 弔辞 其の二 原本 弔辞 其の二 原本 弔辞 其の二 原本十一 弔辞 其の二 原本十二 弔辞 其の二 原本十三 弔辞 其の二 原本十四 弔辞 其の二 原本十五 弔辞 其の二 原本十六 弔辞 其の二 原本十七 弔辞 其の二 原本十八 弔辞 其の二 原本結び